大判例

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最高裁判所第二小法廷 昭和51年(オ)633号 判決

上告人

株式会社共立組

右代表者

八幡貞一

右訴訟代理人

角田好男

被上告人

岡本浩三

右訴訟代理人

石田市郎

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人角田好男の上告理由第一点について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

同第二点について

訴訟上の和解については、特別の事情のない限り、和解調書に記載された文言と異なる意味にその趣旨を解釈すべきものではないが、賃貸借契約については、それが当事者間の信頼関係を基礎とする継続的債権関係であることにともなう別個の配慮を要するものがあると考えられる。すなわち、家屋の賃借人が賃料の支払を一か月分でも怠つたときは、賃貸借契約は当然解除となり、賃借人は賃貸人に対し直ちに右家屋を明け渡す旨を定めた訴訟上の和解条項は、和解成立に至るまでの経緯を考慮にいれても、いまだ右信頼関係が賃借人の賃料の支払遅滞を理由に解除の意思表示を要することなく契約が当然に解除されたものとみなすのを相当とする程度にまで破壊されたとはいえず、したがつて、契約の当然解除の効力を認めることが合理的とはいえないような特別の事情がある場合についてまで、右賃料の支払遅滞による契約の当然解除の効力を認めた趣旨の合意ではないと解するのが相当である。

これを本件についてみるに、原審の適法に確定したところによれば、(1)被上告人は、昭和四三年二月ころから上告人の所有する鉄筋コンクリート造六階建共同住宅のうちの一戸(以下「本件建物部分」という。)を賃借し、これに居住してきたが、上告人は、被上告人に賃料の支払遅滞があつたとして契約解除の意思表示をしたうえ、被上告人に対し本件建物部分の明渡訴訟(広島地方裁判所昭和四三年(ワ)第一三四七号建物明渡請求事件)を提起したところ、右訴訟係属中の同四四年九月四日、当事者間に訴訟上の和解が成立し、右和解において、被上告人は、上告人からあらためて本件建物部分を期間の定めなく、賃料月額一万三〇〇〇円、毎月二六日限り当月分を持参又は送金して支払うとの約定のもとに賃借したが、右和解条項には、賃料の支払を一回でも怠つたときには、賃貸借契約は当然解除となり、被上告人は上告人に対し本件建物部分を直ちに明け渡す旨の特約が付されていたこと、(2)被上告人は、右和解成立後上告人から賃料の受領を拒絶された昭和四六年一一月に至るまで、同年五月分の賃料を除いては毎月の賃料を約定の期日までに銀行振込の方法によつて誠実に支払つていたこと、(3)右五月分の賃料はなんらかの手違いで期日までに支払われなかつたが、被上告人はそのことに気づいていなかつたこと、以上の事実が認められるというのであつて、右事実関係のもとにおいては、本件和解成立に至るまでの経緯を考慮にいれても、被上告人の右賃料の支払遅滞滞により、当事者間の信頼関係が、解除の意思表示を要せず賃貸借契約が当然に解除されたものとみなすのを相当とする程度にまで破壊されたとはいえず、したがつて本件和解条項に基づく契約の当然解除の効力を認めることが合理的とはいえない特別の事情のある場合にあたると解するのが相当である。それゆえ、本件和解条項に基づき被上告人の昭和四六年五月分賃料の支払遅滞によつて本件建物部分賃貸借契約が当然に解除されたものとは認められず、これと結論を同じくする原審の判断は正当として是認することができ、また、その判断の過程に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(大塚喜一郎 岡原昌男 吉田豊 本林讓 栗本一夫)

上告代理人角田好男の上告理由

第一点 〈省略〉

第二点 更に、原判決は、理由三において、本件和解調書(甲第二号証)の和解条項三項の内容が、「被告が賃料の支払を一回でも怠つたときは原、被告間の賃貸借契約は当然解除となり、被告は原告に対し本件建物をただちに明渡すこと」と合意の上、定められた条項につき、次のように判示している。

「右和解条項は、信義則に照らして考察するときは、特別の事情のない限り極めて苛酷な約旨であつて、むしろ、賃借人である控訴人が相当期間継続して賃料の支払を怠るときは、被控訴会社は催告をしないで本件賃貸借を解除し得る趣旨と解することによつて有効となるというべきである。」

しかるに、右和解調書は、上告人会社と被上告人間で昭和四四年九月四日期日に広島地方裁判所で成立したものである。該事件(広島地方裁判所昭和四三年(ワ)第一、三四七号)は、本件建物の賃料(一ケ月一三、〇〇〇円)につき、被上告人が昭和四三年二月七日から同年一〇月六日までの賃料(八ケ月分)を継続して支払わないので、上告人会社が、被上告人に対して同年一〇月八日被上告人に到着の書面で、一週間以内に完済しない場合は、本件建物の賃貸借を解除する旨の催告をしたが、被上告人がその支払いをしないため、同年同月一五日の経過とともに解除されたことを理由に、本件建物の明渡しを求めた訴訟であり、この事由は、和解調書の請求の原因に明記してある。

被上告人は、これだけの期間、(八ケ月分)継続して本件建物賃料の支払いを遅滞しているのであるから、判決をしてもらえば、上告人会社が勝訴することは間違いのない事案であつたのである。

該事件の被告および被告代理人の懇請や、裁判所側のすすめもあつて(該事件の原告代理人は、上告人代理人であつたからその時の状況は、今も記憶に残つている。)上告人会社は、被上告人に対して、新たに本件建物を賃貸したのである。これが和解条項一項であり、上告人会社の態度は、誠に寛大であつたと謂うべきである。

次いで、右延滞賃料の支払方法は、昭和四四年一二月二六日金五万円、昭和四五年七月二六日金五万四、〇〇〇円というもので、和解成立の日(昭和四四年九月四日)より、三ケ月余、一〇ケ月余もその支払期日を猶予しているが和解条項二項であり、上告人会社の態度は、この点においてもほめられてよい。

和解条項一項、二項は、右事件の事案の内容に鑑みても、上告人会社の最大の譲歩である。

したがつて、前記のような和解条項三項で、今後賃料の支払いを一回でも遅滞した場合は、本件建物の賃貸借契約は当然解除となり、被上告人が本件建物を明渡す旨の条項を調書とすることを、上告人会社が求めても、無理な要求であると言えようか、右和解期日には、被上告人は、八ケ月分の賃料を継続して遅滞しており、そのため契約解除を受けているのに更に本件建物を貸してもらえ、延滞賃料の支払いについても右期間支払猶予をしてもらつたのであるから、和解条項三項も喜んで合意し、調書にすることを承諾したものである。

この点については、強制もなければ圧迫もない。(裁判上の和解に鑑みても、そのようなことは考えられない。)原審は、右和解調書の成立についてこのような背景を少しでも考慮されたのであろうか、上告人代理人が、前記のように述べている点は、右和解調書を一読してもらえば、誰でも気付くことである。それであるのに、上告人が最大限に譲歩(被上告人には最大限に有利)した点に目をつぶり、被上告人に不利な点のみに着目し、かつ、この点のみを取上げてその条項の効力を有効でない(結果的には無効)とするような態度は許せない。和解条項の内容が、相手方(本件被上告人)にとり、寛大である条項があれば、その反面厳しい条項もあるのは当然で、これ等の条項は、表裏一体となつて全体的にその効力を判断すべきものである。原判決の判示に従つた言い方をすれば、和解条項三項が、被上告人にとつて苛酷であるというのは、和解条項一項、二項という被上告人にとつては誠に寛大すぎるほどの特段の事情があるからである。

この寛厳よろしきを得た和解条項は、全体的に信義則に沿うものである。

更に言えば、一審において成立した和解調書の和解条項の内容の全部又は一部につき、上級審であるとはいえ、控訴審と雖も、軽々にその効力を否定してはならない。

本件は、一審裁判所が判決をしたのではない。一審裁判所が関与して成立した和解調書であるから猶更である。そうでなければ、国民は裁判所の態度に不信を抱き、法的安定を失う結果となることを恐れるものである。原審の判断では「賃借人である控訴人が相当期間継続して賃料の支払を怠るときは、被控訴会社は催告をしないで本件賃貸借を解除し得る趣旨と解することによつて有効となるというべきである。」と言われているが、それならば、相当期間継続して賃料の支払を遅滞したといわれる期間は何ケ月分位の期間のことをいわれるであろうか、原判決が、一ケ月分の遅滞では有効でないといわれるのであれば、何ケ月分継続して遅滞しなければ有効でないと、この期間についての判断も判示すべきである。

それにしても、本件の和解調書の和解条項の三項を一ケ月分の賃料遅滞しただけでは駄目で、何ケ月分(六ケ月分位継続して遅滞した場合であるとでも考えておられるのであろうか、)位遅滞した場合であるように合意すべきであるというような判断は、本件の事案としては、誠に妥当を欠くものといわざるを得ない。

八ケ月分もの賃料を遅滞して契約を解除された本件事案の和解調書の和解条項が、今後何ケ月分かの賃料の遅滞がなければ契約の解除ができないような条項があつて始めて有効となるというようなことは、全く条理に反するし、このようなことから、賃貸人は始めからこのような和解に応ずる筈もなく、判決により解決した方が余程手取り早いのである。

原判決が、右和解調書の和解条項三項の定めをこのままでは、有効でないと判示しているのは、判例にも違反するし、法令の解釈を誤つた違法な判決でもあるから、何れの点からも、破棄を免れないものである。

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